島田駅前。
改札を出てほどなく、日常と非日常の境界のような場所に、そのスタジオはある。
「ナベトレフィットネスクラブ」。
大手チェーンでもなければ、煌びやかな看板を掲げているわけでもない。
だが、階段を上がった先には、確かに “熱” がある。
今回、インターネット動画生配信スタジオ「アルティスタ静岡」のコーナー
「ロバのイチ推し!」にゲストとして迎えたのは、このスタジオの代表・渡邉ユウスケさんだ。
フィットネス業界に身を置く人であれば、彼のキャリアは決して珍しくない。
インストラクターとして現場に立ち、複数の施設と契約し、レッスンを回る。
多いときには10拠点近くを移動しながら、身体と声を使って人と向き合う日々。
だが、その延長線上に「自分の箱を持つ」という選択肢があるかと言えば、答えは必ずしもイエスではない。
むしろこの業界では、「現場に強い人ほど、経営に踏み出さない」という構図のほうが一般的だ。
にもかかわらず、渡邉ユウスケさんは、島田という街で、自分のスタジオを立ち上げた。
借入はせず、クラウドファンディングを起点に。
月額会員制に依存せず、幽霊会員を前提にしないモデルで。
私はこの話を、単なる「独立成功ストーリー」として扱う気にはなれなかった。
むしろ関心を惹かれたのは、なぜこの経営は、ここまで“無理がない”のかという点だった。
「独立したかったわけではない」という正直さ
渡邉ユウスケさんは、いわゆる「いつまでに独立する」といった明確な目標を掲げていたタイプではない。
「フィットネスクラブを持てたらいいな、とは思っていました。でも、いつまでに、というのは決めていなかったですね」
この言葉は、経営の現実をよく表している。
多くの独立論では、「目標設定」や「期限」が強調される。
だが、専門職の独立は、計画よりも成熟度と偶然によって決まることが多い。
彼の場合もそうだった。
ある日、何気なく眺めていた不動産情報。
島田駅前、一等地とも言える場所に出てきた物件。
「正直、半分冷やかしでした」
内見してみて、直感的に思った。
「これ、フィットネスクラブできちゃうな」
この「できちゃう」という感覚は、机上の計画からは生まれない。
天井高、床、音、導線、近隣環境。
長年現場に立ってきたからこそ、瞬時に “成立する絵” が浮かんだのだろう。
だが、問題はその先にあった。
「3ヶ月待ってもらえませんか?」という賭け
彼は不動産会社に、こう切り出した。
「クラウドファンディングで開業したいので、3ヶ月待ってもらえませんか?」
無謀に聞こえるかもしれない。
実際、断られても不思議ではない。
だが返ってきた答えは、意外なものだった。
「いいですよ」
ここで彼は、自ら退路を断つ。
「やらないと失礼だな、と思ってしまって」
この一言は、経営者として非常に重要な感覚を含んでいる。
覚悟は、最初から完璧な形で存在するものではない。
状況が人を経営者にすることもある。
クラウドファンディングの本質的な意味
目標金額は100万円。
結果は120万円超。
数字だけ見れば「成功」だ。
だが、重要なのは調達額ではない。
彼はこの資金で、大規模な設備投資をしたわけではない。
必要最低限の初期費用と運転資金。
つまり、「始めるための準備」に使った。
金融機関からの借入は、あえてしなかった。
これは慎重さではない。
リスクの質を選んだという判断だ。
借金による返済プレッシャーではなく、「応援してくれた人がいる」という心理的責任。
クラウドファンディングは、単なる資金調達手段ではない。
撤退しづらい状況を、柔らかく作る仕組みなのだ。
この選択が、その後の経営判断を一貫させていく。
月額会員制を「最初から」やらない理由
ナベトレフィットネスクラブの最大の特徴は、月額会員制を前提にしていない点にある。
都度払い。
チケット制。
完全予約制。
最安のプログラムは1,000円。
初回クーポンを使えば500円。
「入り口を、とにかく下げたかった」
フィットネス業界では、月額制は安定収益の象徴だ。
一方で、利用しない会員――いわゆる幽霊会員が大量に生まれる。
渡邉ユウスケさんは、そこに強い違和感を持っていた。
「自分がされて嫌だったことを、お客さんにしたくなかった」
来ない人からもお金が引き落とされる仕組み。
それは経営としては合理的かもしれない。
だが、誠実とは言えない。
ナベトレでは、来なければ売上は立たない。
だからこそ、来てくれる人だけを大切にする構造になっている。
「楽しい」という、最強で模倣不能な価値
事前インタビューで、私はこんな問いを投げかけた。
「お客さんは、他の人にナベトレをどう紹介していると思いますか?」
彼は少し考えてから、こう答えた。
「……楽しい、ですね」
この一言は、経営者にとって非常に重い。
「楽しい」は数値化できない。
KPIにもなりにくい。
マニュアル化も難しい。
だが、継続理由としては最強だ。
少人数制レッスン。
インストラクターとの距離。
音楽と照明。
爆汗トランポリン。
身体的な負荷は軽減されているが、運動量は多い。
最初は楽しい。
次にきつい。
3回目で慣れてくる。
「3回来てください」
この “3回理論” は、習慣形成の本質を突いている。
運動は、人生の主役ではない
渡邉ユウスケさんは、何度もこう語る。
「運動は、ツールだと思っています」
痩せるため。
鍛えるため。
健康になるため。
それだけではない。
夫婦で通う。
親子で来る。
ここで知り合った人と、次の予定が生まれる。
フィットネスは人生を直接変えるものではない。
だが、人生が動き出す“きっかけ”にはなる。
彼が作ろうとしているのは、
「運動を提供する場所」ではなく、「変化が起きる場」なのだ。
拡大ではなく、「接続」という発想
今後の構想を聞くと、その姿勢はさらに明確になる。
2階・3階の同時稼働。
キッズ向けプログラム。
企業向け福利厚生フィットネス。
関節可動域に特化したマシンジムとの連携。
フランチャイズではない。
乱暴な多店舗展開でもない。
接続だ。
点を増やすのではなく、線をつなぐ。
その中心に、コンテンツと思想がある。
小さな経営は、思想でしか差別化できない
ナベトレフィットネスクラブは、成功モデルのテンプレートではない。
真似すれば再現できる話でもない。
だが、ここには多くの経営者が学べる示唆がある。
・顧客に誠実であること
・自分が嫌なことをしないこと
・売上より構造を見ること
・「楽しさ」を軽視しないこと
経営とは、数字の積み上げであると同時に、人への態度の集積でもある。
島田駅前の小さなスタジオで起きていることは、決して小さな話ではない。
私は、そう確信している。
