静岡県島田市。駅前という立地にありながら、単なるフィットネスクラブではなく、「人が変わる場所」として機能し始めている空間がある。ナベトレフィットネスクラブ島田Treasure店。その運営者である渡邉ユウスケ氏へのインタビューは、一見すると「クラウドファンディングに挑戦します」という話に見える。しかし、実際に語られていたのは、もっと本質的な経営の話だった。
それは、「拡大」ではなく「防衛」。そして、「設備」ではなく「構造」。さらに言えば、「売上」ではなく「場」をどう守るかという問いである。
本稿では、このインタビューを素材に、経営者が見落としがちな “構造としての意思決定” について整理していきたい。
1.問題は「売上」ではなく「環境」に発生した
今回のクラウドファンディングの発端は、極めて現実的な出来事だった。スタジオが入居する建物の「1階テナントが空く」という不動産的な変化である。
ここで重要なのは、この出来事が「売上低下」でも「集客不足」でもないという点だ。むしろ、スタジオはオープンから10ヶ月で一定の顧客を獲得し、コミュニティとしても成熟し始めていた。
問題は、外部環境だった。
仮に1階に静かな業態(学習塾など)が入居した場合、振動や音の問題によって、現在のフィットネス運営そのものが成立しなくなる可能性がある。つまりこれは、「事業モデルの前提条件」が崩れるリスクである。
多くの経営者は、ここでこう考える。
「問題が起きてから対処しよう」
しかし、この判断は致命的になり得る。なぜなら、これは「後から調整できる問題」ではないからだ。
環境が変われば、構造は崩れる。構造が崩れれば、事業は成立しない。
つまり今回の意思決定は、売上対策ではなく「事業存続条件の確保」なのである。
2.「拡大」に見えるが、実態は「防衛」である
渡邉氏は1階テナントの取得を検討する。その結果として見えるのは、「フロア拡張」という形だ。しかし、これは一般的な意味での拡大ではない。
むしろ本質は逆である。
・既存事業(2階・3階)を守るため
・環境リスクを排除するため
・事業の継続性を確保するため
この3点において、極めて戦略的な「防衛投資」である。
ここで多くの経営者が誤解するポイントがある。
「拡大=攻め、縮小=守り」
しかし実際には、
・守るために拡大する
・攻めの形を取りながら防衛する
という意思決定は珍しくない。むしろ中小企業においては、こうした判断が生死を分ける。
今回のケースでは、1階を他者に取られることが最大のリスクであり、それを自ら取得することで構造的リスクを消している。
これは典型的な「ポジション戦略」である。
3.設備投資ではなく、「場」を守る意思決定
さらに興味深いのは、1階の活用方法である。
当初はマシントレーニングジムとしての展開も検討されたが、資金制約の中で現実的ではないと判断された。その結果、構想されたのが「UWE BASE」という新しい空間である。
ここで重要なのは、「何を置くか」ではない。
・バトルロープ
・サンドバッグ
・自重トレーニング
・機能的トレーニング
これらは手段に過ぎない。本質は、「2階・3階とは異なる体験価値を提供する場」をつくることである。
そしてさらに重要なのは、この空間が単なるトレーニング場ではなく、「サードプレイス」として設計されている点だ。
自宅でもない
職場でもない
しかし、通いたくなる場所
この概念は、スターバックスが提示したものであるが、地域密着型ビジネスにおいては極めて強力な競争優位になる。
なぜなら、人は機能ではなく「関係性」によって通い続けるからである。
4.顧客が意思決定を後押しする構造
今回のもう一つの重要なポイントは、「クラウドファンディング」という手段である。
ここで注目すべきは、渡邉氏自身が当初はクラウドファンディングに後ろ向きだったという事実だ。
にもかかわらず、実施を決断した。
なぜか。
顧客が「やってほしい」と言ったからである。
これは単なる美談ではない。経営構造として極めて重要な状態を示している。
・顧客が単なる消費者ではない
・場に対して当事者意識を持っている
・継続を望んでいる
つまり、「顧客=共同体の一員」になっている。
この状態が成立すると、クラウドファンディングは単なる資金調達ではなくなる。
それは「関係性の再確認」であり、「コミュニティの意思表明」になる。
実際にリターン設計にもそれが現れている。
・記念Tシャツ(共通体験の象徴)
・回数券(実利)
・名前掲示(共同体への帰属)
これらはすべて、「関係性の可視化」である。
5.「3回来てください」という設計思想
インタビューの中で、非常に示唆的な発言があった。
「まず3回来てほしい」
これは単なる営業トークではない。
人は1回では判断できない
2回ではまだ不安が残る
3回で初めて“意味”が見える
これは行動変容の基本構造である。
そしてナベトレのプログラム設計は、この「3回構造」を前提にしている。
・初回:不安と驚き
・2回目:理解と慣れ
・3回目:楽しさと継続意欲
この設計があるからこそ、「運動が続かない」という一般的な課題を突破できる。
つまりこれは、サービス設計ではなく「行動設計」なのである。
6.結論:「構造を守る経営」は、最も地味で、最も難しい
今回のインタビューから見えてくるのは、派手な成功事例ではない。むしろその逆である。
・環境リスクへの対応
・構造維持のための投資
・顧客との関係性の深化
・サードプレイスとしての再定義
どれも地味であり、短期的な売上には直結しない。しかし、これこそが長期的な経営の本質である。
多くの経営者は、「何を売るか」「どう集客するか」に目を向ける。
しかし本来問うべきは、
「この事業は、どの構造の上に成り立っているのか」
である。
そして、その構造が崩れるリスクに対して、どのタイミングで、どの意思決定をするのか。
今回のナベトレのケースは、その問いに対する一つの明確な答えを示している。
守るべきものがあるならば、
それは“攻めの形”をしてでも守らなければならない。
その判断ができるかどうかが、経営者の本質的な力量なのである。
